沈殿/黙する

 いにしえのブログぜんぶ消しちゃったし日記も引っ越しの際にすべて燃やしたから当時のじぶんが何を思い考えていたのかなにもかもを忘れてしまったけれど、あの時の感覚とか感触がふと甦ってきて茫然とする時がある。殺した気でいたけれど、死んでいなかったんだなと思う。ゆうれいをカメラが捉えた時ってこんなかんじなのではないかしら。輪郭はぼうっとおぼろで触れることはできないけれどたしかに、これ、映ってるよね、って。存在しているよね、って。
 そんなふうにして茫然としつつも、時間は過ぎてゆくし体は勝手に老いてゆくし過去は遠ざかっていってそのうちに、いつか見えなくなってしまうのだろうけれど、肌の底の底、内臓の奥の奥にしみついた色々、は、ずっと褪せずに永遠に存在しつづけて、とうとつに目を開くからその眼光の鋭さにびっくりしてしまう。
 かれらかのじょらは死んだわけではなくて眠っているだけなのだ。目を閉じて、ふかい眠りの中にいるだけなのだ。体の奥底に沈んだそれらを起こさぬように私は日常をそろりそろりとやり過ごす。それでも目をさましてしまうのだから人の赤子よりも厄介である。何か、動物的なアンテナを張っているようにしか思えない。しかたがないから一つのいきものとしてかれらかのじょらを愛することに決めた、これはいつかの話し。

 25年以上も生きて、未だにかつての色々、に、煩わされていることに失望する。そしてそれをこうして文章にしていることにも。何も考えずに思うままに打っているから、幼稚さに笑えてくるけれどこれが今の私の精いっぱいなのです、とも。私には才がない学がない、じぶんの思うままにじぶんの言葉で、こう思ったああ感じた何がつらいこれがくるしいあれがさみしい、を、書いてゆくしかないのです。原文ママ