オアシス

不自然に生きているな、と、ふいに思った。とうとつに頭に浮かんだその感覚を、一人でひっ下げておくのはなおのこと不自然な気がしたのでしたためる。これといって意味はないのだけれど。
へやは蒸していてひどく暑く、それでも椅子に坐った態で動くこともなくじっ、とパソコンを見つめている私は傍から見たら滑稽だ。手を伸ばせばすぐにエアコンのボタンを押せるというのに。朝に起きて、朝食にオートミールとバナナとナッツを入れたヨーグルトと、珈琲に豆乳を加えたものを食べたきりのおなかは、けれど消費カロリーがすくないためかあまり空いておらず、横着者の私は放置をつづけている。
横着者になったのはさいきんの話だ。何かをするのが面倒くさい。とりわけじぶんの世話をすることが。起床後につけたパソコンを、かれこれ4時間ほど見つづけているけれど、それは特段何かを見たいからではなく、ただただじぶんの世話をしなければならないという気持ちから目を逸らすための行為である。ひたすらに億劫で、何もかもが難儀だった。かろうじて顔を洗い、コンタクトレンズを入れたが、シャワーを浴びるという高いハードルは未だ越えられていない。へやはこの3日ほどでずいぶんと荒れ果てたし、整えていないベッドに、けれど夜は体を横たえて眠る。
鬱。と、そう言ってしまえばそれまでなのだが、だからなんだというの、という声も体の内側で響くから、私の頭はつねに混乱状態である。先日、ちょっとつよめのお薬を処方された。朝に一錠、のむように。へんな黄色のカプセルを、以来私は律儀にのんでいる。ほんとうはちいとものみたくないのだけれど、のまないと医者からも家族からも見放されてしまいそうで、それがこわくてのんでいる。じぶんのため、というよりも、じぶんを見守る周囲のため、といった心の按配に、私はたびたび辟易する。誰のための人生かといえば、私のためであるのに。
秒単位で更新されつづけるSNSから目を離し、私は、不自然に生きているなあ、と心の奥深くに言葉を落とした。きっとそれに意味はなくて、虚無を埋めるためだけの自己防衛的な働きしかないのだろうが、一言、不自然に生きているのだなあと呟くことで、何かこのままならなさがどうにかなってくれそうで、かすかに期待をしてみたい。と、そう思ったのだった。
暑さは時とともにじわじわと肌にまとわりつき、仕方なくエアコンのスウィッチを入れた。オフタイマーを2.5時間後に設定し、ゆるやかな冷風を感じたところでようやく私は煙草を吸うために椅子を立つ。