お終いの土地

 気を抜くと死んでしまいそうになる。泣き腫らしたまぶたは重く、鏡に映しだされた顔面に悲鳴を上げそうになった。醜く厚ぼったいそれは自然と下がってきてしまい、視界に不具合はないのだけれどどうにも、異和がある。
 呼吸のできないほどのかなしみがマグマのように煮え滾ってうちがわでふつふつと熱を持ち、昨夜は眠ることができなかった。涙が耳に入る感触は不愉快で、なんどティッシュで拭ってもあとからあとからあふれて止まらない。もう大人だから泣かないワ、などとたかをくくっていたのに、そんなことはなかったね。大人になっても泣くことはある、みっともないようだけれど。

 どこにいても何をしていてもまちがっている気がした。肌が過敏になって外部からの刺激にたいして拒否反応をしめす。過去も、未来も、現在も、まちがっている。ぜんぶまちがっているし何もかもをまちがえてきてしまった。すべてへの後悔と憎しみ(の、ようなもの)でからだじゅうが爆発しそうで、けれどそれをいざ、どうする、と思っても、今さらどうすることもできなくて、ただ茫然とするのだった。


 むかし、妹がくれたしろくまの顔を模したスマフォ置き(と、いうのかしら、何か、ぬいぐるみのような)をパソコンの横に置いているのだけれど、それを見ると妹を思う。私は妹をひどく可愛く思っているのだけれど、あちらは私のことをあまり好いてはいないようすで、それでもどこかに出掛けたおりには何かしらのちょっとしたもの(キーホルダーや、メモ帳や、ペン、などの、こまごまとしたもの)をお土産に、と買ってきて、私に寄越す。そのささやかでぶっきらぼうな態度がひどくよくて、私はそれらをだいじにだいじにへやに飾る。
 妹は今、北海道のなんにもない山の中で、働いている。一人で、なんとか楽しくやっているらしい。妹の連絡先を私は知らないので、近況のやりとりなどはできないのだけれど、たまに、家族のグループLINEに写真を送ってきてくれる。笑っていたり、真剣な顔をしていたり。すこやかに、たくましく育った妹を、私はいとおしく思いながら写真にうつった彼女を眺める。
 とんでもなくいい子だから、どうか、幸せに生きてほしいと思う。これまでのすべてが報われるくらいのよいことが、あの子にたくさん起こってほしいと思う。お姉ちゃんはだめだめだから、あんまり思いだしてくれなくていい。たまに顔を見せてくれたらうれしいけれど、それも気が向いたらでいい。あんまりお金はないだろうから、お土産などの気遣いはとくにいらないな。


 ここではないどこか遠くの土地のことを想う。それがどこかは知らないけれど、そこに行かれることができたらもしかしたら、などと甘ったるいことを考えて、うんざりする。ぜんぶを捨てられたらいいね。そうして身軽になったら、どこかちがう遠いところに行ってしまおう。そこの住人になってそこで生活をしよう。どうか、つぎの人生で待っていてほしい。