深夜高速

 午前四時のちょっと前に目が醒めてから、ひどくかなしい気持ちでいる。ぼんやりと音楽を流しながら、頭の芯に頼りなく靄がかかっているのを感じた。寝不足で迎える朝は心細い。へやは、けれど私一人きりで、誰に頼ることもできない。尤も誰かがいたとして、その誰かに何かを言って寄り掛かれる気はまるでしないのだけれど。
 不調は、じわじわと体をおかしくしていく。その気配を感じるとおそろしくなるのだが、意思でどうにかできるものでもないことはじゅうぶんに理解できた。動かない頭と体でなんとか生活を明日に繋げて、日々を漫然と浪費していることが無力で、くるしくてかなしかった。

 ぼうっとしていると、むかしのことばかり思いだす。過去の、つらかったことや思いだしたくないことなど。頭の余白を塗り潰すようにしてそれらは、ひたひたと脳に満ちてゆく。
 若かった頃の私がまなうらにあらわれて、私は慌てて目を瞑る。当時の私は幼さゆえに傲慢で、今もばかだが今よりもずっとずっとばかだった。

 パソコンで流していたSuchmosが途絶えたので、私はカーソルを動かしててきとうに、フラワーカンパニーズのアイコンをクリックする。せつなげなギターのイントロが流れはじめ、「深夜高速」のメロディがかたちをなしていくのに耳を傾けた。新しい音楽も古い音楽も、よいものはいつ聴いてもよいなあなどと思う。私のパソコンに入っている音楽はこの数年でずいぶんと傾向が変わった。若い頃は特定のアーティストしか受けつけなかったのだが年をとってからは、いいな、と思ったものはすぐにCDを借りてきて取りこむようになった。8GのiPodには入りきらなかった曲たちが、HDDに溜まってゆく。それを眺めるのは、物質的なコレクションを眺めるような感覚があってすこし、たのしい。もちろんアルバムも買うのだが、いいな、と思った曲たちをすべて買っていたらとてもお金が足りないので、もっぱらレンタルである。それでもいくらかは満たされた気持ちになるのだから、私は大概かんたんで、安い女である。

 音楽はやさしい。過去の私から目を瞑った時、暗闇の中で手を伸ばせる唯一の存在だった。やさしい音楽であれば、もう、なんでもよかった。ねむたい、と、漠然と思った。頭も体も疲弊していた。豆乳を入れた珈琲をひとくち飲んだところで、往来で大きな雷の音が響いた。カーテンを細く開ける。

  夜は、いつの間にか明けていた。