leave me tender.
かなしいことは絶え間なく押し寄せて、そのたび呼吸ができなくてくるしくて、水面を見上げながらしずかに沈んでいっているようなそんな心地で、でも日々は流れていってわたしは、生きていて、生きて、生きているのだ。
なんとなくタバコをやめてみようかなと思ってきょうは午後からずっと吸わないでいる。iQOSに切り替えたら吸う、というより摂取、というかんじがして具合がよくなかった。これならばむしろ吸わないほうがよいのではないか。父は禁煙外来に通って禁煙をした。わたしはこのまま、フェードアウトするように卒煙できればいいね。もうタバコなんて流行んないんだよねっておもえばひどくさみしいけれど(わたしが若いころに憧れていたあの人やあの人もみんなタバコをやめてしまった)、なんというか、しようがないんだよね。
かなしみやくるしみは波となって、寄せてはかえしてをくりかえすのだとつくづく思う。ここさいきんの波はおだやかで、足首を浸すていどに、やさしい。残酷なやさしさだとおもう。しぶきがきらきらとしてきれいだ。水平線の向こうには小島があって、そらにはカモメが飛んでいる。波がどれだけやさしくとも、わたしはいつも泣いてしまう。息ができなくてくるしくてさみしいと言って。それでも一人でいるしかないのだということも理解している。だからなおさら、かなしいのだね。
もうじぶんでじぶんの居場所を、つくったっていいんだよっていうゆるしを、わたしはずっとずっと待っている。